村田諒太の性格や経歴は?強さや戦績についても調査!

プロボクサーの村田諒太さんといえば、2012年のロンドンオリンピックにおいてボクシングのミドル級で金メダルを獲得し、一躍日本のボクシング界に名乗りを上げた元WBAミドル級スーパー王者です。

2021年11月には現IBF世界ミドル級王者ゲンナジー・ゴロフキンさんと村田諒太さんの対戦が正式発表されました。

実現されれば日本史上最大のビッグマッチになるとして日本のボクシング界を賑わせていました。

そして、2022年4月9日にさいたまスーパーアリーナでゴロフキンvs村田諒太の対戦が実現されましたが、結果は惜しくもゴロフキンさんの9ラウンドTKO勝ちという結果に。

そんな村田諒太さんのことが気になっている人も多いのではないでしょうか。

そこで村田諒太さんの圧倒的な強さに隠れた性格や経歴、強さの秘訣やこれまでの戦績について調査いたしましたのでご紹介します。

 

この記事では…

・村田諒太の性格や経歴

・村田諒太の強さや戦績

について紹介します。

 

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村田諒太の性格や経歴

村田諒太の性格

結論から言うと、村田さんは普段から笑顔を絶やさない男らしいやさしい性格である可能性が高いです。

 

村田諒太さんといえばカメラの前やインビュー、自身のSNS投稿などでも笑顔を絶やさないイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。

 

あれだけ打ち合った試合後のインタビューでもにっこりと笑顔をみせながらインタビューに答える姿はとてもやさしそうな性格が垣間見れます。

 

 

また、2017年のエンダム戦では村田さんがエンダム選手からダウン奪い終始優勢とみられていましたが、判定はまさかの1-2で村田さんは負けを喫します。

 

この試合は疑惑の判定となり物議を醸しました。

 

しかし、その判定に不満や言い訳を一切口にしない村田さん。

 

 

試合後、判定について村田さんは、「第三者が判断することですし、僕自身が勝っていた負けていたと言うのは違うと思いますし…。」と述べ、ジャッジの採点に言い訳をしない村田さんからは男らしさを感じさせました。

 

村田さんは普段から笑顔を絶やさない男らしいやさしい性格である可能性が高いですね。

 

 

経歴

 

中学生高校生時代

中学生時代は家庭の事情なので一時荒れていたことがある村田さん。

 

中学生のときに、当時の担任であった北出忠徳教師から「お前、何かやりたいことはないんか?」と尋ねられると、村田さんは「ボクシングやったら、やるわ!」と答えたことがボクシングを始めるきっかけとなります。

 

しかし、2週間ほどで練習を行くのをやめてしまったり、足首の怪我をしたりするなどで一時的にボクシングから離れることになったそうです。

 

 

その後、中学校3年生から大阪の「進光ボクシングジム」に通い始め、本格的にボクシングを習いはじめます。

 

それからは高校2年時で選抜・総体・国体の高校3冠を達成し、また3年時でも選抜と総体を制して高校5冠を達成するなどで頭角を表すようになりました。

 

 

中学3年生から本格的にボクシングをはじめて高校3年生で5冠を達成するなど、才能があったことは間違いないですね。

 

高校卒業後は、東洋大学経営学部経営学科へ進学しボクシング部に所属します。

 

 

大学生時代

大学時代では2004年に全日本選手権初優勝を飾り、2005年にはホーチミン市で開催されたアジア選手権にミドル級(75 kg)で出場し銅メダルを獲得。

 

大学時代でもメダルを獲得するほどなので、この頃から実力は本物ですね。

 

しかし、2008年に北京五輪出場を逃しボクシングを引退します。

 

 

引退後は2008年3月に東洋大学を卒業し、学校法人東洋大学に就職し大学職員兼ボクシング部コーチとして勤務することに。

 

しかし、2009年2月に東洋大学ボクシング部の元部員の不祥事をきっかけに、名誉回復のためにと1年半ぶりの現役復帰を決意します。

 

 

1年半ぶりの現役復帰後

現役復帰後は、2009年から2011年にかけて全日本選手権で3連覇を果たし、2011年7月のインドネシア大統領杯にミドル級(75 kg)で出場し初の国際大会で優勝を飾るなど功績を残します。

 

2011年10月の世界ボクシング選手権ではミドル級(75 kg)で出場し、決勝戦まで登り詰めしたが僅差の判定負けで惜しくも銀メダルとなりました。

 

村田さんが一躍名を揚げるきっかけとなった2012年のロンドンオリンピックで村田さんはミドル級でボクシングでは48年ぶりの金メダルを獲得し、バンタム級を超えた階級でのメダル獲得は日本初と偉業を成し遂げます。

 

 

プロ転向WBA世界ミドル級王座

ロンドンオリンピックで金メダル獲得後は、プロ転向を決意します。

 

2013年4月にフジテレビがスパーリングの様子を生中継する異例の公開プロテストのなかで村田さんはプロテストに見事合格し、プロボクサーへと転向を果たします。

 

そして、13戦目にして初の世界タイトル戦を迎えることになった2017年5月20日のWBAミドル級王座決定戦では、誰しもが村田さんが勝ったと確信した試合でしたが、結果はまさかの村田さんの判定負けという結果になりました。

 

この判定には日本中いや世界中どよめいたはずです。

 

 

アッサン・エンダム選手との再戦が熱望されると、2017年8月3日にアッサン・エンダム選手との再戦が発表されます。

 

そして、2017年10月22日に再戦にてアッサン・エンダム選手にTKO勝利を飾り、プロ戦績14戦目にしてWBA世界ミドル級王座を獲得しました。

 

 

2018年4月にはWBA世界ミドル級6位でEBU欧州ミドル級王者のエマヌエーレ・ブランダムラ選手を相手に初防衛を成功させます。

 

しかし、2018年10月にWBA世界ミドル級3位のロブ・ブラント選手と対戦し0-3で判定負けを喫しWBA王座脱落。

 

 

WBA王座返り咲き

2019年7月にWBA世界ミドル級王者のロブ・ブラント選手と再戦を行い、2回2分34秒TKO勝ちを収め、9ヶ月振りに王座返り咲きに成功します。

 

王座返り咲き5ヶ月後の2019年12月にWBA世界ミドル級8位のスティーブン・バトラー選手と対戦し、5回2分45秒TKO勝ちを収め初防衛にも成功。

 

 

村田諒太vsゲンナジー・ゴロフキン

2021年11月にIBF世界ミドル級王者ゲンナジー・ゴロフキン選手と2団体王座統一戦が12月29日に日本のさいたまスーパーアリーナーで開催されることが正式に発表されました。

 

しかし、「新型コロナウイルスの変異株オミクロン株」の影響により、12月29日のゴロフキンさんとの2団体王座統一戦が延期になり、ゴロフキンさんとの試合は2022年4月9日に変更となりました。

 

 

この対戦が日本で実現されれば日本のボクシング史上最大のビッグマッチになり、日本ボクシング界がさらに盛り上がると期待が寄せられる大会と注目されることに。

 

そして、2022年4月9日にさいたまスーパーアリーナでゴロフキンvs村田諒太のカードが実現され、村田選手に注目が寄せられたこの一戦の結果は、惜しくもゴロフキンさんの9ラウンドTKO勝ちという結果になりました。

 

 

■引退

村田選手はゴロフキン戦後の2023年3月28日に正式に現役引退を発表しました。

引退の会見で「悔いはボクシングをやってきたトレーニングでは思うところはあります。これが必要だった、部分部分はあります。それが悔いというのならそれがありますが、すべての自分のロングショットをみて総括すれば悔いはないです」と発言されていました。

村田選手はゴロフキン戦後に勝っても負けても引退のつもりだったそうです。

引退会見は重々しい感じかと思われましたが、「ボクサーとしては引退だが、引退という名のスタートだと思っている」と前向きな発言をされていたので、今後のキャリアに注目していきたいですね。

日本人では挑戦することすらむずかしいとされる階級で王座に輝くなど数々の功績を残し続けた村田選手は、日本のファンに大きな勇気を与えたことは間違いないですよね。

そんな村田諒太選手の戦績は、

・【アマチュア】138戦 119勝 (89KO・RSC)19敗

・【プロ】19戦 16勝 (13KO) 3敗

でした。

今後も日本のボクシング界で語り継がれていくことでしょう。

 

 

村田諒太の強さや戦績についても調査

村田諒太の強さは?

プロボクサーも、やはりメンタルは重要です。

 

どんなに技術があって強くてもメンタルが弱くては試合では勝てません。

 

そんなメンタル部分を鍛える方法として村田さんは、「読書」だと語っていました。

 

 

村田さんは読書家の父親から「本を読め!」と口酸っぱく言われていたそうで読書習慣がつき、主に心理学や哲学などの本を読むことが多いとのこと。

 

その本を読むことで、試合前に不安になったり、辛い練習だったり、辛い減量だったりも本によって助けられ、乗り越えられることができたといいます。

 

何百冊以上も読んできた本のなかで村田さんは、とくに印象に深く残り影響を受けた本の一冊として「夜と霧」を挙げています。

 

 

「夜と霧」は第2次世界大戦中のナチスドイツによって強制収容所に囚われ、奇跡的に生還したユダヤ人の心理学者であるヴィクトール・フランクルさんが、過酷な環境に置かれた被収容者たちが何に絶望し、また何に希望を見出したのか、心理学者としての冷静な視線から書き記した哲学書。

 

「夜と霧」を読んだ村田さんは辛い過酷な練習でも、「まだまだ自分は楽なほうだ、恵まれている。」と感じられたそうで、「アウシュビッツの地獄に比べれば減量のつらさも練習のきつさも比ではない。」と思ったそうです。

 

技術力はもちろんのこと多大なプレッシャーのなかで闘い抜ける強いメンタルが村田さんを強くさせ、またそのメンタルは読書によって鍛えられている可能性が高いですね。

 

 

 

 

しかし、一番良いメンタルトレーニングは試合で勝つという結果が最高のメンタルトレーニングだとも話していました。

 

それでも「読書」というのは村田さんのメンタル部分を鍛えるのに基盤になっていて、強さの秘訣になっていることは間違いなさそうですね。

 

「読書」や「試合での実績」で鍛えられたメンタルで今後の活躍も期待したいです。

 

 

村田諒太の戦績

【アマチュアボクシング】

138戦 119勝 (89KO・RSC))19敗

 

【プロボクシング】

19戦 16勝 (13KO) 3敗

 

【獲得タイトル】

アジア選手権ミドル級銅メダル(2005)

インドネシア大統領杯ミドル級金メダル(2011)

世界ボクシング選手権大会ミドル級銀メダル(2011)

ロンドンオリンピックミドル級金メダル(2012)

WBA世界ミドル級王座(2017)

 

村田さんがロンドンオリンピックのミドル級で金メダルを獲得したときは、バンタム級の桜井孝雄以来48年ぶりのボクシングでの2個目の金メダルでした。

 

そして、2017年にはプロで最も層の厚いミドル級でWBA世界ミドル級王座を獲得したときは、竹原慎二以来の二人目の日本人世界チャンピオンとなっています。

 

村田さんはアマチュア時代にロンドンオリンピックミドル級金メダルを獲得、プロでもWBA世界ミドル級王座を獲得し、日本人として初めてアマチュアとプロの両方で世界を制したボクサーになります。

 

 

まとめ

 

◆村田さんの性格は、普段から笑顔を絶やさない男らしいやさしい性格である可能性が高い

 

◆村田さんは中学の担任教師のすすめでボクシングをはじめ、プロ14戦目にして世界タイトルを獲得

 

◆技術力はもちろんのこと多大なプレッシャーのなかで闘い抜ける強いメンタルが村田さんを強くさせ、またそのメンタルは読書によって鍛えられている可能性が高い

 

◆これまでの戦績

 

【アマチュアボクシング】:138戦 119勝 (89KO・RSC) 19敗

 

【プロボクシング】:18戦 16勝 (13KO) 2敗

 

【獲得タイトル】

・アジア選手権ミドル級銅メダル(2005)

・インドネシア大統領杯ミドル級金メダル(2011)

・世界ボクシング選手権大会ミドル級銀メダル(2011)

・ロンドンオリンピックミドル級金メダル(2012)

・WBA世界ミドル級王座(2017)