日本のプロボクサーで現WBO世界ミニマム級王者の谷口将隆さん。
2019年2月26日のタイトル戦では惜しくも判定で敗れてしまいますが、2021年12月にウィルフレド・メンデス選手を下し、二度目のタイトル戦にてWBO世界ミニマム級王座を獲得しています。
そんな谷口将隆さんについて気になっている人も多いのではないでしょうか?
そこでこの記事では…
・谷口将隆のファイトマネー
・谷口将隆の京口紘人との関係性
・谷口将隆の出身や経歴(中学や高校)
について紹介します。
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谷口将隆のファイトマネー
これまでプロとして20戦16勝4敗、うち11KOというとてつもない戦績を誇る谷口将隆さん。
元WBO世界ミニマム級王者の肩書きに相応しい勝負強さをもつ谷口将隆さんは一体どれくらいのファイトマネーを稼いでいるのでしょうか。
結論から言うと谷口将隆のファイトマネーは、1試合1,000万円はいかなくとも、数百万は確実にあるのではと推測しています。
2021年12月に開催されたWBO世界戦、ウィルフレンド・メンデス選手との指名試合ではWBOが最低8万ドル(約888万円)のファイトマネーを設定していることが報道されていました。
しかし、期限までに入札者は現れず、WBOは再度最低価格を4万ドル(約444万円)にまで引き上げることも発表しました。
この価格はアメリカの地域タイトル戦よりも安い金額だと言われており、近年のボクシング業界の経営的厳しさが晒される結果に…。
結局この指名試合は両国国技館で開催され、谷口将隆さんが見事勝利を飾りましたが、設定されたファイトマネーは不明のままです。
谷口将隆さんが驚異的ともいえる強さを見せつける一方で、こうした報道を見る限りでは実際に獲得しているファイトマネーはそれほど高額ではない可能性が高いですね。
しかし実力は確かなためこれからファイトマネーがドンドンあがる可能性は非常に高いので、今後の活躍に期待したいですね。
谷口将隆と京口紘人との関係性
ファイトマネーのほかに気になるのは元WBA世界ライトフライ級スーパー王者・京口紘人さんとの関係性です。
結論から言うとふたりは同じワタナベボクシングジムに所属しており、実は同時期にデビューを果たした同期なんだそうです!
出会いはさかのぼること中学3年生の頃、ふたりは尼崎で開催されたスパークリング大会で顔合わせをしました。
それ以降ふたりは6回拳を交えており、4勝2敗で京口紘人さんが勝ち越しているそうです。
また、ワタナベボクシングジムのスカウトが京口紘人さんの視察で関西に訪れた際に対戦していたのが谷口将隆さんだったそうで、その様子を見たスカウトが試合後ふたりに声をかけたエピソードも明かされています。
今ではまさに“盟友”と称し合うふたりですが、過去のエピソードからも何か不思議な縁のようなものを感じますね。
谷口将隆の出身や経歴(中学や高校)
谷口将隆さんは1994年1月19日に兵庫県神戸市で生まれました。
小学6年生の頃から空手を始めており、ボクシングの基礎を培っていたそうです。
近年の格闘技界隈では空手出身者が非常に多いとされていますが、谷口将隆さんもその例の一人だったようですね。
ボクシングに出会ったのは中学2年生のときで、高校在学時は神戸第一高等学校のボクシング部でインターハイベスト8を記録しています。
そこから徐々に頭角を現し始め、大学時代は京都の龍谷大学でボクシングにさらに打ち込み、岐阜国体、長崎国体では準優勝を記録。
全日本選手権では優勝こそ叶いませんでしたが、ベスト3を二度収めただけではなく4年時には主将も務めた活躍などが認められ、ワタナベジムからスカウトを受けます。
そして大学卒業後、上京した谷口将隆さんはワタナベボクシングジムからプロデビューを果たしました。
プロデビュー後は20戦16勝(11KO)4敗といった圧倒的な強さを披露し、同期でデビューから一年半後に世界王者になった京口紘人さんの後を追う活躍を見せています。
2021年12月にはウィルフレド・メンデスを下し、二度目の挑戦にして念願のWBO世界ミニマム級王座に輝きました。
今後の谷口将隆さんの活躍に期待です!
まとめ
▼谷口将隆のファイトマネー
谷口将隆のファイトマネーは、1試合1,000万円はいかなくとも、数百万は確実にあるのではと推測しています。
▼京口紘人との関係性
ふたりは同じワタナベボクシングジムに所属しており、実は同時期にデビューを果たした同期でした。
▼谷口将隆の出身や経歴(中学や高校)
谷口将隆さんは1994年1月19日に兵庫県神戸市で生まれました。
ボクシングに出会ったのは中学2年生のときで、高校在学時は神戸第一高等学校のボクシング部でインターハイベスト8を記録しています。
そこから徐々に頭角を現し始め、大学時代は京都の龍谷大学でボクシングにさらに打ち込み、岐阜国体、長崎国体では準優勝を記録。